変わった名前の道路「アンパン道路」と、札幌に100年の歴史をもつ「月寒あんぱん」
札幌市の豊平区に変わった名前の道路があります。その名も、「アンパン道路」。いつも気になっていたこの名称。どうしてこのような名前が付いたのでしょうか?
また、この地の名前がついた「月寒あんぱん」とは一体何なのでしょうか。
札幌で100年の歴史を持つ銘菓「月寒あんぱん」
札幌市、豊平区には「月寒」という地名があります。明治の頃、道内最大の軍隊、「陸軍歩兵第25連隊」が置かれていたのが、「月寒」の町です。 「月寒」と言う地名は今でもあるのですが、その月寒の中に、変わった名前の道路があります。
その名も「アンパン道路」。どのようにしてこの様な道路が出来たのか、また、この地発祥のお菓子、「月寒あんぱん」を紹介したいと思います。
明治7年、東京芝日陰町の木村安兵衛が酒種酵母による「桜あんぱん」の製造に成功。翌年には、明治天皇にも献上され、銀座の名物となりました。その頃、道内最大の軍隊内で菓子を販売していた大沼甚三郎は、銀座の「木村屋」で考案された「あんぱん」というのがブームになっていることを知ります。しかし、この時代は、情報の流通事情も悪く、想像で造られた「あんぱん」は月餅のようなまんじゅうでした。 その後、製法を教わった本間与三郎が妻とともに「あんぱん」を焼き、たちまち人気となり7軒のあんぱん屋が軒をつらねました。
明治44年、第25連隊と住民が協力して、道を造る際、豊平町が軍に感謝を込めて毎日一人に5個のあんぱんを提供。 あんぱんをほうばりながら造られた道路。この道路こそが、愛称を込められ、「あんぱん道路」と呼ばれるようになりました。 しかし戦争の混乱により、あんぱん屋は次々と閉店に追い込まれ、戦後、本間与三郎だけが「あんぱん」の製造を再開し、「月寒あんぱん」は札幌の銘菓として今も多くの人に愛され残っています。
「月寒あんぱん」とは?
今回は、今も多くの人から愛され続けている「月寒あんぱん」を製造している、「株式会社ほんま」さんに取材をさせて頂きました。 何と言っても忘れられないのが、誕生から100年を超えた「月寒あんぱん」こちらでは、1日に1万個以上造られています。
月寒あんぱんの特徴は、月餅のような薄い皮にぎっしりと詰まった餡。40年以上経験を積んだ職人が気温や湿度によって餡や生地の原料の配合を変え、同じ味を保っています。 また、生地に塗りムラが出ないよう、丁寧に手作業で卵を塗っている姿も印象的でした。
この、名物「月寒あんぱん」の他にもう一つの人気商品が「月寒ドーナッツ」です。こちらの「株式会社ほんま」さん、本州の百貨店(高島屋・松屋)で、年に約15回ほど催事にも出店されていて、この「月寒あんぱん」と「月寒ドーナッツ」がやってくるのを、待ち焦がれている人も多くいらっしゃるようです。催事に行かれると「楽しみに待っていたよ」と言っていただける事があり、とても嬉しいです。とおっしゃていました。
札幌では、100年以上愛されているお菓子な為、札幌出身で現在本州に住んでいる方は昔を懐かしんで食べるお客様も多くいらっしゃいます。
お店の方も「札幌を代表するお菓子というのはあまりないんですよ。だから、この「月寒あんぱん」が札幌のローカルお菓子と言われるのがとても嬉しい。」 とおっしゃておりました。 また、何よりも地元に愛されたいと100年以上も、この月寒という地で変わらず続けらていられることに驚きました。 地域密着にこだわった同店では、商品の中に「平岸パイ」とういうものがあり、このパッケージは地元の高校の生徒がデザインしたものでした。 このような、地元に愛され、地元を一番大事に考えているところが、100年以上経っても変わらずいられる理由なのでしょう。
月寒あんぱんの歴史
地元に愛され続けて100年以上の歴史を持つ「月寒あんぱん」。「株式会社ほんま」さんには急な取材のお願いも快く受けていただき、親切にお話を聞かせて頂きました。 このような暖かさが長年愛されている理由なのかと思います。当ホテルにお越しのお客様に札幌のお土産で何かない?と聞かれた際には、自身を持って「月寒あんぱん」をおすすめしたいと思います。



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